元禄九年八月の或る夜、
三谷村の庄屋 「佐左衛門」は、
不思議な夢を見ました。

「この郷の産子神である八剱大明神が、
村の東辺の若宮神社へ渡御なされた。」
まさしく神のお告げであると、
早速質素な神輿を設え八剱宮のご神霊を移し、
神幸の儀式を行いました。
これが「三谷祭」の始まりと言われています。

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各区・山車紹介

上区(あげく)

氏神: 天白神社
山車: 剣の山車
練り: 素盞鳴の舞、子踊り
備考: 三河三谷駅より東側の地区

剣の山車

建造年 昭和10年(1935年)
山車の大きさ 巾     3.6m
長さ    4.3m
高さ    6.31m
山車柱高さ 10.2m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和32年3月14日指定)
主な特徴 山車柱の先端に剣と2本の御幣を飾り、屋根には鯱が付けられています。

三河三谷駅より東に位置する所にあり上区(あげく)と言います。祭典法被にはむかしの奉納踊り、大名行列の奴菱が名残りとして入っています。上区の神社は天白神社(てんぱくじんじゃ)で素盞鳴命(すさのおのみこと)を奉祀しています。三谷祭、祭礼では産子神の八劔社宮守を供奉しています。祭典を行なう組織は、上区保存会といい、昭和47年に上区から正式に組織化されました。三谷祭については、文化文政期には今に近い祭礼が行なわれていたと記録や諸道具によって分かります。山車は剣の山車で、昭和10年に新調され、昭和53年に金箔・極彩色・金具等が施され、平成20年から21年にかけて車輪の取替を行いました。

西区(にしく)

氏神: 神明神社、八劔神社
山車: 恵比寿の山車
練り: 神楽の舞、大名行列、子踊り
備考: 西新屋とも呼ばれている三谷の最も西方に位置

恵比寿の山車

建造年 大正5年(1916年)
山車の大きさ 巾     3.45m
長さ    3.55m
高さ    5.4m
山車柱高さ 11.2m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和32年3月14日指定)
主な特徴 山車柱の先端に金の玉を付けた割竹と榊を飾る。屋根には恵比寿人形。

西区は、三谷町の西端で西田川の東側に位置し、地区内には白鳳年間の勧請と言われている神明神社が鎮座し、西区の氏神です。つまり、西区は八劔神社と神明神社の二重氏子になっている。神明神社は、「海から打ち上げられた神像が祭られている」と伝えられていることから、吹き上げ神明宮とも呼ばれる。
西区は「西新屋(にしあらや)」とも言われており、現在は九百数十戸の戸数を数える三谷町六区の中の一つです。三谷祭と神明神社は関係が深い。それは、神明神社の獅子頭(「御上(いんきょ)神楽」と呼ばれ市指定文化財で室町時代の作と推定される)が、試楽に八劔神社に渡って泊まり、翌日の神幸祭に若宮神社へ神輿と共に渡御するからである。西区の「御上(いんきょ)神楽」が来なければ祭りも始まらないとも言われていました。
当保存会は、三谷祭において神社で奉納される西区練り(郷土芸能)部門全般及び祭礼進行部門全般を受け持ちとしているが、この役割は今日の三谷祭の形態になったと言われる江戸時代より変わることなく現在に至っている。はっきりは分からないが、祭には松区を中心に上区の八劔神社と西区の神明神社、東区の若宮社が参加し、その後北区、中区が加わったと聞いております。お囃子、踊りもいつからは不明ですが、少なくとも山車ができたころにはもうあったと思います。

明治44年 三谷町青年会(西区支会)できる。これまでは若連・若集連というもので祭をしていた。
昭和2年 三谷町青年団(西区分団)と改名。
昭和42年 西区保存会が結成される。以後西区は、保存会と青年団の二団体で祭り及び伝統芸能を保存・継承しています。

東区(ひがしく)

氏神: 若宮神社
山車: 神船若宮丸
練り: 子踊り
備考: 三谷の最も東側に位置

神船若宮丸

建造年 寛政2年(1970年)
山車の大きさ 巾     1.1m
長さ    4.85m
高さ    3.65m
山車柱高さ 6.3m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和36年3月9日指定)
主な特徴 舟形をしている。船の後部には武具を飾る。

東区の見所は引き分けにある。神船若宮丸の前で松前木遣りの音頭に合わせ、青年衆が手花をかざし、練り込みをする。「さらば これから若宮様へ 無事で入船 みなさん たのみだえ のんがほい。」のかけ声で手花を投げ、若宮丸を勢いよく曳く様は観客を魅了する。

北区(きたく)

氏神: 秋津神社
山車: 三蓋傘の山車
練り: 七福神踊り、子踊り
備考: 三谷の最も北方に位置

三蓋傘の山車

建造年 大正10年(1921年)
山車の大きさ 巾     3.46m
長さ    3.81m
高さ    5.44m
山車柱高さ 11.25m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和32年3月14日指定)
主な特徴 山車柱の先端にすすきと籠を飾り、その下に黄・青・赤色の幕を掛けた3段の傘が付く。

<七福神踊り保存会結成について>
七福神踊りは江戸時代の民間信仰から豊年祈願として始まったもので、中屋敷嶋(現在の北区)の若連、若衆によって組織されていた。明治後期の青年団結束の頃から、北区青年団が継承にあたり、伝統芸を保存してきた。しかし昭和30年代後期になると、青年団活動は徐々に衰退し、七福神踊りだけでなく、三谷まつりそのものの存続も危ぶまれるようになってきた。
北区としても、長老達をはじめ祭典を愛する区民達によって祭典の保存に試行錯誤を凝らした結果、昭和42年1月11日、結成大会を行う運びとなり、北区七福神踊り保存会が発足し現在に至るものである。
会員数 平成22年10月現在 154名

中区(なかく)

氏神: 秋葉神社
山車: 花山車
練り: 連獅子踊り、子踊り
備考: 中濱嶋→中濱區→中区
なかはまとも呼ばれている

花山車

建造年 明治26年(1893年)
山車の大きさ 巾     3.42m
長さ    3.93m
高さ    5.47m
山車柱高さ 11.73m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和32年3月14日指定)
主な特徴 山車柱の先端の割竹に、色とりどりの造花と短冊を付ける。

江戸期には「中濱嶋」、明治から昭和初期までは「中濱區」、現在では「中区」ですが、今でも「なかはま」と呼ぶ人も少なくありません。法被の文字も「中濱区」!
まわりを他区に囲まれ広がる事が出来ず、他地区への流出が増え、空き家、駐車場が目立ち、人口の減少に歯止めがききません。人員不足による祭の形態、運営方法の変更が継続的な検討課題になっています。
しかしながら、かつての世帯数、人口が6区で群を抜いて1番だった頃の心意気は今も受け継がれ健在です。

松区(まつく)

氏神: 八劔神社
山車: 神輿(八劔宮本社、源太夫社)
練り: くぐり太鼓、事触れ、山伏
備考: 三谷祭りにおいて神事を司る

御神輿

建造年 江戸時代
源大夫社(源大夫命) 高さ    2m
屋根幅   1.29m
御本社(日本武尊) 高さ    2m<
屋根幅   1.28m
文化財等 市指定有形民俗文化財
(昭和44年9月11日指定)
主な特徴 山車柱の先端にすすきと籠を飾り、その下に黄・青・赤色の幕を掛けた3段の傘が付く。

松区は古く松葉区と言われていました。松葉は、マチバ(町場)から転化したという説がある。硯川の東のたもとで現在の防火帯ビルの所に花柳会の芸姑の置き屋があり、彼女らが出入りしたり太鼓や三味線の音がいつもしていて町場の雰囲気を醸し出していたということからだった。
松区は大正末~昭和初期までは、三谷温泉下から国道23号線をはさんで南北2帯ある防火建築の東淵までうっそうとした松林の海岸線が続いていた。海岸線は白い砂浜が続くばかりで、およそ荷揚げの造られるような適地では無かった。松林には、別荘があちらこちらに建ち並び、海には竹の海苔ソダが植わっていた。

昭和24年 囃子堂完成。
昭和45年 三谷青年、解散
昭和47年 三谷祭保存会が創立される。
昭和48年 少年くぐり太鼓が創立される。
昭和49年 少年囃子が創立される。