氏神: 神明神社、八劔神社
山車: 恵比寿の山車
練り: 神楽の舞、大名行列、子踊り
備考: 西新屋とも呼ばれている三谷の最も西方に位置
恵比寿の山車
建造年 |
大正5年(1916年) |
山車の大きさ |
巾 3.45m
長さ 3.55m
高さ 5.4m
山車柱高さ 11.2m |
文化財等 |
市指定有形民俗文化財
(昭和32年3月14日指定) |
主な特徴 |
山車柱の先端に金の玉を付けた割竹と榊を飾る。屋根には恵比寿人形。 |
西区は、三谷町の西端で西田川の東側に位置し、地区内には白鳳年間の勧請と言われている神明神社が鎮座し、西区の氏神です。つまり、西区は八劔神社と神明神社の二重氏子になっている。神明神社は、「海から打ち上げられた神像が祭られている」と伝えられていることから、吹き上げ神明宮とも呼ばれる。
西区は「西新屋(にしあらや)」とも言われており、現在は九百数十戸の戸数を数える三谷町六区の中の一つです。三谷祭と神明神社は関係が深い。それは、神明神社の獅子頭(「御上(いんきょ)神楽」と呼ばれ市指定文化財で室町時代の作と推定される)が、試楽に八劔神社に渡って泊まり、翌日の神幸祭に若宮神社へ神輿と共に渡御するからである。西区の「御上(いんきょ)神楽」が来なければ祭りも始まらないとも言われていました。
当保存会は、三谷祭において神社で奉納される西区練り(郷土芸能)部門全般及び祭礼進行部門全般を受け持ちとしているが、この役割は今日の三谷祭の形態になったと言われる江戸時代より変わることなく現在に至っている。はっきりは分からないが、祭には松区を中心に上区の八劔神社と西区の神明神社、東区の若宮社が参加し、その後北区、中区が加わったと聞いております。お囃子、踊りもいつからは不明ですが、少なくとも山車ができたころにはもうあったと思います。
明治44年 |
三谷町青年会(西区支会)できる。これまでは若連・若集連というもので祭をしていた。 |
昭和2年 |
三谷町青年団(西区分団)と改名。 |
昭和42年 |
西区保存会が結成される。以後西区は、保存会と青年団の二団体で祭り及び伝統芸能を保存・継承しています。 |