元禄九年八月の或る夜、
三谷村の庄屋 「佐左衛門」は、
不思議な夢を見ました。

「この郷の産子神である八剱大明神が、
村の東辺の若宮神社へ渡御なされた。」
まさしく神のお告げであると、
早速質素な神輿を設え八剱宮のご神霊を移し、
神幸の儀式を行いました。
これが「三谷祭」の始まりと言われています。

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三谷祭とは

三谷祭の概要

「山車(やま)」と呼ばれる美しく巨大な車を
「氏子(うじこ)」の大勢の男性が力強く曳き回し、
八剱神社と若宮神社の間を練り歩く、蒲郡の誇る
日本でも珍しい祭。

元禄時代から受け継がれる三谷町の産土神、八劔神社と若宮神社の例祭。2日間にわたり町内各6区で奉納踊りを行うほか、日曜日にはサラシを巻いた半裸身の氏子達が、4台の絢爛豪華な山車を曳き町内を練り歩いた後、海に曳き入れる迫力満点の「海中渡御」が行われます。

豪華な山車の競演

4台の山車が八劔神社前に勢揃いします。
それぞれに特徴のある立派な山車を、大勢の男性が力強く曳きまわし、若宮神社前を通り海へ向かいます。

最大のみどころ「海中渡御」

日曜日には「海中渡御」が行われます。
4台の山車が海に曳き入れられ、人々のかけ声や水しぶきと共に、三谷の海岸が熱気とエネルギーで溢れます。海の中を山車が渡っていく光景は迫力いっぱいでまさに圧巻です。

三谷祭の由来

三谷祭の起源

今から約300年程前の元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもの。
まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(九月九日)に神幸(じんこう・神の行幸の意。祭事や遷宮などで神体がその鎮座する神社から他所へ赴くこと)の儀式を行った。
これが「三谷祭」のはじまりと言われています。

三谷祭を分かりやすく説明しますと

試楽祭(宵祭り、現在は土曜日)に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものである。

西宮 八剣神社(明神様・産土様)
東宮 若宮神社(八幡宮)

三谷祭の歴史

1696年(元禄9年) 三谷村の庄屋が重陽の節句に神幸の儀式を行う。
1712年(正徳2年) 松葉嶋(松区)を宮元として全村六区で祭りの神事(神輿渡御)を行う。
1790年(寛政2年) 東区の神船若宮丸が建造される。
1800年頃 その後、村の発展と共に祭りは盛大に。 絢爛豪華な山車を各区が競って建造するようになる。 山車を海中に曳き入れて渡り、神楽や踊りなど余興を奉納するようになる。 今日の規模に劣らぬ祭礼が行われるようになる。
1893年(明治26年) 中区の花の山車が建造される。
1916年(大正5年) 西区の恵比寿の山車が改築される。
1921年(大正10年) 北区の三蓋傘の山車が建造される。
1935年(昭和10年) 上区の剣の山車が建造される。
1957年(昭和32年) 蒲郡市が有形文化財として四台の山車を指定。
1960年(昭和35年) 伊勢湾台風の影響により河岸埋め立て工事が行われ、海中曳行が中止。
1961年(昭和36年) 蒲郡市が有形文化財として神船を指定。蒲郡市が「三谷祭」を指定無形民俗文化財に指定。
1969年(昭和44年) 蒲郡市が有形文化財として神輿を指定。
1995年(平成7年) 一台の山車を海中試し曳き。
1996年(平成8年) 創始三百年祭で山車四台を海中に引き入れ海中渡御が復活。

現存する資料によれば、
社家(しゃけ・代々特定神社の神職を世襲してきた家のこと。八劔神社は武内氏、若宮神社は山川氏)中心の祭事から村全体の行事へと転換されていった祭礼の最も古いものは、正徳二年(1712年)に記録があり、佐左衛門の地元、松葉嶋(現・松区)を宮元として庄屋松葉浜に全村六区の集会を求め、祭りの神事(神輿渡御)を行ったとされる。
その後、村の発展と共に祭りは盛大になり、京都祇園祭の影響を受けたとされる絢爛豪華で雄大な山車を、各区が競って建造し、これを海中に曳き入れて渡り、神楽や踊りなど賑やかな余興を奉納するようになった。
これに伴い、祭の運営の秩序が確立され、厳格な規律のもとに祭礼が執り行われるようになり、文化文政期(1800年頃)には、今日の規模に劣らぬ祭礼が行われていたことが、記録や諸道具によって判っています。
その後も連綿と「天下の奇祭」として受け継がれてきましたが、伊勢湾台風の影響による海岸埋立工事で海岸線が失われ、伝統の山車の海中渡御は、昭和三十五年の祭礼を最後に姿を消しました。
しかしその後、地元住民の強い存続意識に加えて、山車の海中曳き入れを復活する声が高くなり、若宮神社東の海岸において、平成七年には一台の海中試し曳き、翌八年の「創始三百年祭」には四台を曳き入れ復活の途につきました。
昭和三十二年三月、蒲郡市は先に有形文化財として四台の山車を指定し、昭和三十六年に神船を加え、さらに昭和四十四年に神輿を指定しました。また、同に「三谷祭」を指定無形民族文化財に指定しました。
現在曳かれている山車は、上区「剣の山車」、中区「花の山車」、北区「三蓋傘の山車」、西区「恵比寿の山車」の四台です。新造されたり大改修されたものであるが、いずれも彩色彫刻の施された絢爛豪華な山車です。

みどころ

大勢の男衆たちが
「ワッショイ ワッショイ」と声を上げ、
絢爛豪華な四台の山車が海を渡る。

海中渡御は、三谷温泉前海岸にて日曜日の午前10時45分頃、渡御を知らせる号砲とともにはじまります。
海を渡る順番は、上区の「剣の山車」を皮切りに西区の「恵比寿の山車」、北区「三蓋傘の山車」、中区の「花山車」と絢爛(けんらん)豪華な4台の山車が号砲とともに海の中へ。
男衆約200人ずつに曳かれた山車は、沖合の浅場を約400メートルにわたって静かに進み、15分ほどで海から上がります。